食べ聞かせ



「お弁当」


私にとって、今も忘れられない思い出のお弁当があります。
それは「お好み焼き弁当」です。
大阪生まれの大阪育ちの私にとって、「お好み焼き弁当」は
好きなお弁当のベスト3に入るくらい特別なものでした。
 
私が通っていた幼稚園では、冬になるとお弁当を温めてくれました。
もちろん今のような電子レンジなんてものはありませんでしたので、
ガスストーブの上にアルミのお弁当箱を並べて温めるのです。
お昼ごはんにホカホカのお好み焼きを食べる贅沢(?)を、よく友達に自慢したものでした。
 
しかし、大きくなるにつれ、そのお好み焼き弁当は恥ずかしく感じるようになってきました。
中学生にもなると、友達の可愛らしいお弁当が羨ましくて仕方がありませんでした。
というのも、うちは父親が毎日お弁当を持っていく人だったので、
お弁当の中身は常に「父」の好みに合わせられていたからです。
 
甘くない塩味の玉子焼きに、きんぴらごぼう、肉の佃煮に塩鮭、
高野豆腐やほうれん草のゴマ和え。ごはんには必ず大きな梅干。
キャラクターのかまぼこや、カラフルなカップ、かわいい仕切りを多用した
同級生の華やかで可愛らしいお弁当に比べ、私のお弁当はいつも色合いが茶色っぽく、
おかずも何だかオジサンっぽくて塩辛い味付けのものばかりで、
とてもイヤだったのを覚えています。
たまに父のお弁当がない日は、母も張り切ってハンバーグやフライ、
ウィンナーなんかを入れてくれましたので、その日はお弁当が楽しみで仕方ありませんでした。
 
自分がお弁当を作る今になって、母が毎朝5時に起きて作ってくれていたお弁当に
文句をつけるなんて、なんてバチ当たりな!と思います。
冷房もない学校や職場で、
お弁当が昼まで痛まないようにするために、毎日梅干を入れてくれていたことや、
汗だくになって働く父のために、わざと塩辛い味付けにしていたこと、
父のお弁当がない日には、母なりに子供が喜びそうなお弁当を作ってくれていたことなど、
色んな気遣いの中で生かされていたことを感謝しています。
 
今は自分が作るほうの立場になりました。
お好み焼きを作った翌日には有無を言わさず「お好み焼き弁当」にする私を、
家族がどう思っているかは定かではありません・・・。
 
 


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